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 オーストラリア公文

2004年3月 取材

代表取締役社長  中塚 正さん

 


公文式教育法の広がりから感じること

2004年3月 オーストラリア公文 代表取締役社長 中塚 正

海外での初仕事

It’s a miracle!」…「まるで奇跡だ」私の横に居た黒人の教師は、驚きのまなざしでそう呟いた。

アメリカ、ニューヨーク州マンハッタン、ハーレムのど真ん中、EAST129丁目にその小学校があった。初めての海外駐在、アメリカに赴任して間も無い頃、私の上司は「上着は脱いで、ネクタイは外して、出来ればジーパンが良いな」と言って、ハーレムにある学校支援の業務を私に命じた。

廻りは黒人ばかり、昼間から売春婦が街角に立ち、麻薬を打つ注射器の針が道端に幾つも転がっている。鉄格子の塀に囲まれ、厳重に重い鍵の掛かった扉を開けてもらいやっと中に入れる小学校。残念ながら今では日本でも起こってしまっている学級崩壊の様子をこの学校で私は初めて目の当たりにした。飛んだり跳ねたり、駆け回ったりする子ども達、慣れてしまったのか、そのことはまるで眼中に無いように授業を進める先生。それでも何人かの子はちゃんと授業を聞いている。

そんな中で算数の授業は始まった。予め学力診断テストは済ませてあり、その子どもに「ちょうど」の出発点の教材がそれぞれに配られた。足し算をする子ども、数を数える子ども、数字を書く練習をする子ども、線を引く子ども、皆違うレベルの教材をしている。鉛筆の走る音が聞こえ、全員の眼差しは教材に向いている。その時、文頭の呟きを耳にした。日本と同じ公文の教材を、目を輝かして取り組んでいるアフリカ系アメリカ人の子ども達の姿に、言い知れぬ素直な感激を覚えた。これが、私の海外での仕事の原体験である。

『伝えること』・・・広がり

日本の本社、アメリカでの9年間の駐在、京都事務局での責任者を経て2002年1月、私が6代目の責任者としてこの地に赴任した時には、23,000人を越える生徒が、450箇所近い教室で学習をしている状態となっていた。今では、オーストラリア・ニュージーランドで約30,000人の生徒が、約500箇所に有る公文式の教室で学習をしている。独立事業主として教室運営に携わって頂いている500人余の教室指導者をサポートする社員数は、5ヶ所の支局、教材配送センターのスタッフも含め60名を越えた。ほとんどがオーストラリア人であり、日本からの駐在員は、今は私一人である。

20年のオーストラリアでの公文式の広がりの中で、たくさんの高校課程の公文修了生徒を送り出すことも出来たし、ブリスベンでは12歳で大学に入学したオーストラリア人姉弟も輩出できた。国を越えて普遍的であり、あらゆる学習の基礎である読み書き計算という「知の基盤」を、一方的に教えるのではなく、個人別教育によって、子ども達は自らの歩幅で、自ら築いていく。そしてそこに喜びと更なる向上意欲を見出して行く。子ども達の学習意欲に直接に強く響くような伝え方を実践して行きたい。

昨年アデレードで、少年少女鑑別所において実験的に公文式の導入を行った。まず、ゲートを開けてもらうために必ず所員との事前の約束が必要で、最初の入り口で入所時刻を記入の上、所員の同行の下、入り口と出口が同時には決して開かない扉を経てやっと所内に入れる。そんな場所でも、高校生年代の子ども達が、足し算や引き算を一所懸命に学習している。更生への手段として、目的を持って学んでいるのである。目標を持って学習する強みを子ども達から学べた。社会参加ができる。更に社会貢献ができる。そんな夢の一歩をその子にちょうどの一枚の教材が導いているのである。公文生徒の父親が、鑑別所の教員であり、その人の熱意が鑑別所での実験に繋がった。この学習法をしっかりとそして気持ちを込めて伝えると色々なところに広がっていく。1967年に初めて市民権を得た先住民族アボリジニに対しても、更に民間として何らかの教育支援ができないかを今考えている。

全ての大人へ、次代のために

ハーレムで出会った子ども達も、アメリカの多くの州、様々な街・村で出会った子ども達も、日本の子ども達も、そしてオーストラリアの子ども達も、その素質に、伸びて行こうとする才能に、何らの違いも国境も無い。次代を担う子ども達。その子ども達が大きな夢描き、誇りと希望を持って成長して行ける国。その国造りを教育の分野から支えて行くと言う気概を持った自国・オーストラリアのアソシエーツ(社員・指導者)を育成し続けることが、私のチャレンジであり生きがい(仕事)である。そして、有数の資源国であり、インターネット上の8割を支配する英語を第一言語とする国であり、何より、暖かく優しい人柄の国であるこのオーストラリアが、更なる経済発展を遂げ世界に冠たる国力を持つことが、この地にお世話になっている私の夢である。

どこの国でも同じである。日本もまた同じである。夢と希望で溢れた子ども達で、地域が一杯になれば、それが日本の延いては世界の平和に繋がると思う。社会は人がつくってきた。これからもそうに違いない。時代も人がつくる。その『人』は教育によってつくられる。不透明な時代を打破して行くために、新しい時代を切り開くために、先代に育てられた大人自身が、世のため人のために一生懸命働く意外に方法はないのではないか。政治の所為、世の中の所為にするのではなく、自分が出来ることを、今していることを精一杯全うして行こうではないか。どこに居ても、その場での個人の一人一人の動きが、やがて「うねり」となり社会・世界を変革して行く一歩となり、次代を育てることに繋がると信じている。 

「奇跡は興すものである」と、教育の仕事、体験を通じて確信できる。

(公文教育研究会ホームページ http://www.kumon.co.jp

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